アメリカは、64年8月の北爆開始から本格的介入をはじめました。以降、73年3月、南ベトナムから米軍を完全に撤退させるまで、アメリカは泥沼のような戦争に踏みこみます。長期化し大義名分を欠くベトナム戦争に対して、反戦ムードは日ごとに強まりました。経済的には、当初は巨額の軍事費が需要の拡大につながり、むしろ景気を押し上げました。しかし、やがて戦費が急激に増え、インフレが高進し、ドルの流出を招くようになってきます。こうして学生や知識人のみでなく、経済界からも批判の声が上がりだします。欧州諸国もアメリカに批判的となり、ベトナム戦争が国際的にも孤立した戦争であることが明らかになってきたのです。60年代の後半、こうした反戦ムードの高まる中で、社会的不安定や暴力の表面化が目立ちました。見方を変えるとアメリカ社会の中に、既存の体制に対する批判が、青年層を中心に急速に台頭してきたのです。
自動織機の発明者・豊田佐吉の生い立ちを綴った小伝(『創造限りなく』)に、次のような一節がのっています。「佐吉が社会に使命感を抱くようになった背景には、そのころ愛読していた『西国立志編』の影響か大きい。原著はイギリス人サミュエル・スマイルズの『自助伝』である。(中略)自主独立の精神を思想の基本とレアイザック・ニュートン、ジェームズ・ワットら三百余人の成功立志伝をつうじて、忍耐、勤勉、克己の重要性を説き、近代国家創設に燃える当時の青少年に希望の光を与えた」いまどきの醒めた若者には、時代錯誤と冷笑されるかもしれませんが、佐吉小伝には明治期の若者の大志、事業への熱情がむしろ清々しく描かれています。当時は、マイホーム主義という言葉も、会社主義という言葉もありませんでした。企業の経営者が「共生」と言って媚びることもなく、工場をみて「ダサイ」と言い放つ青年もいなかったはずです。
メキシコでは日本がFTAを締結する前、輸入品目に16%の関税がかけられていた。いっぽう、メキシコとFTAを結んでいるアメリカ、カナダ、EUの国々からの輸入品には関税がかけられなかったため、日本製品は競争に敗れる結果となった。そこで、日本もメキシコとFTAを締結することにしたのである。メキシコとのFTAによる実績としては、東京・豊洲のショッピングセンターにできた「キッザニア東京」があげられる。これは、メキシコに本拠を構える企業がFTA合意を受けてつくったテーマパークで、子どもたちがさまざまな職業を模擬体験できるようになっている。開業から半年で約36万人もの入場者数を記録し、修学旅行の訪問先にする小学校も多いという。現在、日本は、ベトナム、インド、オーストラリア、スイス、湾岸協力会議(GCC・サウジアラビア、アラブ首長国連邦、カタール、クウェート、オマーン、バーレーン)、韓国とFTAおよびEPAの交渉中である。